悠々と急ぐために・・・

“Festina Lente”

原発考 ~原子力委員会メルマガへのコメント

 月に二度ほど配信されてくる「内閣府 原子力委員会」のメルマガの前回配信分コラム記事にしばらく考えさせられました。こういう組織の人がこの程度の思考(の浅さ)でいいのか。あるいは当方の読解力の問題か・・・

 実はよく整理しきれていないのですが、先方にそのままコメントして送信したついでに、本ブログにも掲載します。

 コラム記事というのは、下記サイトの「科学技術利用における未知の領域」。

第173号 原子力委員会メールマガジン−原子力委員会

 ※以下、当方コメント。

 いつもメルマガ配信いただき、ありがとうございます。

 今号の岡委員のコラムに違和感が残りました。通常なら読み飛ばして終わるところですが、なぜか引っかかったため、以下少し整理してみます。自分でも尽き詰めていないためうまく伝わるかどうか、、、どうかご了承ください。

 

 率直な質問ですが、このコラムの趣旨は何でしょうか?

 いささか乱暴にまとめてしまうと、

 「科学技術の進歩にはリスクはつきものだ。リスクばかり強調して風評被害に及ぶ愚は避けたいものだ」

 みたいになりますが(それは最初に一読した際の印象でもありますが)、この分野の第一人者であられるお方がそのような単純、短絡的な論旨でもって本稿のような場に(たとえ読みやすいコラム形式であっても)寄稿するということは考えにくいと感じ、これが「違和感」の原因じゃないかと、何度か読み返してみてようやく腑に落ちました。

 

 はじめに断っておきますが、私自身は原発反対論者でも原発推進論者でもありません。厳密にいえば「気持の上では反対したい論者、でも現実を考えると・・・」という風な、おそらくは世間一般のマジョリティに属するのではないかと思います。ゆえに、この分野のド素人として、本当は原発をどうすべきなのか、より多くの意見、特に貴委員会のような専門家の方々のご意見を貴重な判断材料として日々切実に拝聴し、受け止めるようこころがけているところです。

 

 論を戻しますと、科学技術の進歩に多くのリスクが伴うことはだれでも理解していることと思います。リスクを取らなければなにごとも成し遂げられないという一般真理もありますが、ましてや科学技術をや、といったところで充分理解できることです。ただしここでの問題は、すでに起こってしまった福島の事故が未だ明確な解決策が見えていない現状にあって(もし知らないうちに明確な解決策がすでに見えているということであればどうかご教示ください)、事故の大元である火種をしっかり消すことなく、既存の施設を稼働させる、あるいはシステムを丸ごと他国に売込みに行く、その間のつじつまがどう考えてもド素人の理解を超えている、ということです。

 

 やや論旨が外れたように思いますので再度戻しますと、ここで大切なことは、だれでも理解している科学技術の進歩の過程で生じるリスクというのを、いかに客観的に評価するか、その具体的な根拠はなにか、にあると思います。というのも、貴委員会のレゾン・デトルというのは、この度の事故、あるいは原発そのものの技術的な評価を、如何に科学的・客観的に下し、それを一般の人たちにわかりやすく伝えていくか、更にそういった一連の作業を通じて、今後の原発のあり方、引いては国のエネルギー政策に適切な方針を示していくことと思うからです。

 例えば、原発推進論者のリスク的根拠として、自動車の危険性がしばしば引き合いに出されます。自動車事故による死亡や障害というリスクの方が原発事故による被害リスクよりもはるかにリスク性が高いと。これに賛成するかしないかは別の話として、目に見えにくいリスクというものを数値化して説明している点は評価できると思います。同様に、原発のリスク性についても客観的な指標で示し、更に万一事故が起こった際にはどういった手段で対応するか、ここがしっかり説明できていないと反対論者は納得しないと思います。

 

 言わずと知れたことではありますが、原発反対論者には文学者を始めとする文化人が多いですね。例えば大江健三郎さん。拠り所としている論点が明確だし、いかにも説得力があります。彼らはそもそもものを書くことが商売ですから文章のうまさということも大きいのでしょうが、それ以前に論拠が明確で、ここが肝要です。つい先日は村上春樹さんがご自身のサイトで明確な原発反対論を掲載しました。彼は元々こういったことにあまり口をはさまない、いわゆる「デタッチメント」を信条にしているところがあっただけに、影響力も大きいと思います。

http://www.welluneednt.com/entry/2015/04/09/073000

 

 一方の原発推進論者としては、例えば寺島実郎さんでしょうか(彼は怒るかもしれませんけど)。つい先日の朝日新聞でも「原発反対論者は代替エネルギーでもなんとかできると安易に言っているが、核の傘からはずれる覚悟がしっかりできているのか」と実のある論拠を提示されていました。彼は別の著書でも「気持ちとしては全廃したい。ただし安全保障上の理由から、一部だけでも残さないと日本の国益に反する」というような意見を示され(とても勇気のいることだと思います)、原発を停止した場合のリスクについて明確に説明されています。

 なにごとも、ことを進める場合には進めた場合のリスクは当然考えるべきですが、なにごとも進めない場合のリスクについても同時に考えるべきであって、ここが原発反対論者が決定的に弱い点ではないでしょうか。ドイツを例に持ち出しますと、確かにドイツは原発全廃を早々と決めましたし、先般来日したメルケルさんは安部さんにも全廃を勧めたようです。詳しく情報を追いかけていないのでこれも遠目に見ていての印象にすぎませんが、ドイツの場合は原発停止後のエネルギー政策も、安全保障上の問題も、全てクリアしているのではないか、そういうイメージです。これには地政学的な理由が大きく、エネルギーを売りたい国(供給元)がすぐ隣にあり、EUを盾にした安保体制もしっかり盤石である。そういう恵まれた国が、四方を海に囲まれ、すぐ目の先に北朝鮮があり、その後ろには中国が控え、それでも「核の傘」の下で70年間平和外交の道を歩んできた東の果ての島国に対して、随分安易なことを言うなあと思ったものです。核の傘から抜けた際のリスクを、原発反対論者はどこまで真剣に考えているのか。日本が世界に誇る原発の技術開発分野において、全てを放棄してまで危険に身をさらすような覚悟をみなで共有しているか。これは少なくとも、現況の東アジア外交、日中・日韓関係にあってはとても厳しい選択肢と感じてしまいます。

(エネルギー政策としての核と、安全保障上の核は別に考慮すべき、とド素人的には考えてしまいがちですが、これがいかに非現実的かについても寺島さんが説明されています。)

 

 再度、貴委員会に期待することというのは、今後原発を推し進めるにしろ、停止にするにしろ、ともかく明確な根拠、判断材料をできる限り示してほしいということです。漠然とリスクはつきものだと言うのではなく、推し進める場合のリスクも、止めてしまった場合のリスクも、できる限り客観的に説明していただきたい。その上で、国中で国民一人ひとりが検討、議論し、最終的には国会なり国民投票なりで結論を出すのが王道と思います。

 以上、案の定長くなってしまいすみません。